校長ブログ

大学教育の変遷

2025.04.12 カリキュラム・マネジメント

4月12日

 海外に後れを取ると言われる日本の大学について、金子元久氏(筑波大学特命教授)は、戦後、大学教育の空洞化が進んでおり、若者自らが成長する空間を再生すべきだと言及されています。

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 日本の大学生の学習時間は、米国と比較すると、少なくなっていると見られています。歴史をひもとけば、明治時代の大学では講義が中心であり、試験も多く、成績が就職に反映されたため、知識詰め込みが主流でした。それは大正、昭和になっても同様であり、学習時間も長かったのです。

 背景にあるのは、新制大学になった時のベースとなった学習単位制。米国の大学教育が近代化されていく中、主体的な学習を理念として形成されたものです。その実現に向けて、大学では週2〜3回の双方向型授業、文献重視、定着のための小テストなど、多様な取り組みが行われていたのです。しかし、日本では、その趣旨が十分に浸透せず、注入型講義の単位制が形成されたのです。

 新制大学は開かれた教育機関を理念としたものの、旧帝大の権威に依拠する大学教授像が広がっていました。研究志向が強く、授業の内容・方法については閉鎖的というのが日本の大学像だったのです。

 しかし、時代は移り、1990年代には入学者数は減少、競争が激化します。企業の大卒獲得競争が始まり、同時期に、学習意欲の低下とレジャーランド化ということばが聞かれるようになりました。授業中の「私語」も問題になり始めた頃です。

 2000年代になって大学教育改革が始まります。にもかかわらず、学生の授業外での学習時間はほとんど変化してこなかったことは様々な調査から明らかです。要因として、労働市場の流動化が進んだため、就職活動が長期化し、3年の前半までに必要単位を取得するようになってきていることがあります。そのため、授業時間外の学習をほとんど必要としない授業が一般化してしまったわけです。

 対策は、情報を公開し、好事例を他大学に拡げ、そこから新しい改革を生み出すしかありません。大学が若者の成長する空間である以上、それが時代の要請にマッチする仕組みに再構築することが日本社会の新しい発展につながるのです。