校長ブログ

生成AI時代の英語教育①-中学生の振り返り

2024.12.26 グローバル教育
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 今年の中高シンポジウム(校長ブログ2024.10.14 校長ブログ2024.10.15 校長ブログ2024.10.16)では、『明日につながる英語・グローバル教育シンポジウム』(兵庫県私学連合会英語教育部会主催)をテーマとし、生成AI時代における英語教育について考える機会を提供しましたが、今回と次回は生徒の振り返りを紹介します。本日は中学生の感想です。

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AIは今や絵も描けるほど発達していて、びっくりすほどです。そんなAIでもクリエイティブなことはできないのでやはり、それをできるのは私たち人間なんだなと改めて実感しました。私たちには覚えられる限界があるし、頑張りすぎると体を壊してしまうかもしれません。とはいえ、休憩をしたりしたら、周りが何かを言うかもしれません。そんなの矛盾です。しかし、AIが発達したらそんなことも無くなっていくかもしれません。AIは自分のためだけでなく、もしかしたらさまざまな人を救える素晴らしく高度なものだと思いました。けれど、そんなAIでも間違えはしてしまうかもしれません。だからこそ、AIのことをしっかり理解していくことが大切だと思います。(中1)

・生成AIはメリットデメリットがあるんだとわかりました。メリットは自分の経験値をAIが把握してくれたり、間違えていたら教えてくれる。また質の良い学習ができるから自分のレベルを上げることができる。そういうところがメリットなんだと思いました。デメリットは学ばなければならないところをAIに頼ると学習効果がないということになるというところ。だから一回自力で問題を解いてみてその後にAIを使うと効率的なんだと分かりました。なのでAIを完璧に使うということはすごく簡単なことではないのかなと思いました。(中1)

・生成AI=頭が良くて、いつか人類を滅ぼすというイメージしかありませんでしたが、意外とおバカだということが分かり、少し安心しました。インターネットから正しい情報だけを切り抜くことが出来るのは脱帽です。AIよりも、人間よりも、という考え方より、生成AIと共存していくことが大事だということが分かりました。英語は、翻訳機があれば大丈夫という考えが間違っていたのが意外でした。確かに、会議室でスマホで翻訳する人なんて見たことないし、AIに判断を任せて解釈を間違えたら危険だと思います。今回のシンポジウムもたくさんの気付きが得られました。(中2)

・今日のお話を聞いて生成AIのこれからの使われ方やAIだけで教育はできないということを聞いてやっぱり人間は必要なんだと思いました。テレビを見ていると人間が働く仕事が減るなどということが言っていて気になっていたけど今日のAIにもできないことがたくさんあると聞いて一つ一つ未来では人間にもしっかりと働けて逆にいないと成り立たないと知れてとても驚きました。AIは感情はないけど知識はあるから間違えはないと思っていたので人間と同じで間違えもあると知れてよかったです。私がこれから高校生になったらもっとAIを活用している可能性が多くあるけど信じすぎてもダメなんだと思いました。人間とパートナーのようにこれから利用していくかもしれないAI が人間の役に立って仕事時間を少しでも減らしてくれるということはとても素敵だと思いました。(中2)

AIとは、簡単にいうとインターネットが進化したもので、AIを使うことによって先生と生徒の関係が密になり、AIは学習面でとても活躍するということを学びました。その一方でAIには問題点もあるため、信用しすぎないことが大切であるということも学びました。特に印象的だったのは人間がAIをうまく使うかどうかでAIの質もかわり、可能性が無限大になるということです。人間が間違った使い方をすると恐ろしいものになるけれど、良い使い方をすれば、学習を効率よく学べたり、先生の負担が減ったりなど色々なものに活用できるということがとても印象的でした。今後の生活に今日の話で学んだことを活かしていきたいと思います。(中3)

AIのメリットデメリットにおいて、森田先生がおっしゃっていたAIを大きな電卓に見立てるというお話がとても興味深く、確かにそのまま回答がポンと返ってきてそこから何を得るかによって電卓も使い所が変わるので表現が素敵だなと思いました。AIにはもちろん人間にある感性や感情はなく、国語で勉強した教材にもあった通り不安などがなく最適解を答えてくれるのでそれはそれで良い反面、感情がないという観点で見てみるとその言動は躊躇なく最適解を出しているので人間には実現できなさそうなことなどを話したりなど、デメリットがあることにも気付きました。AIはこれから人間よりも活躍して、人間の居場所がなくなるという話がニュースでもよく取り上げられますが、この話を聞いてその時が訪れるのはやはりもう少しあとなのかもしれないと思いほっとしました。(中3)