校長ブログ

ゲノム研究

2024.10.23 教科研究
1023日

 古代人のゲノム解読によって、本州、北海道、沖縄などでも、元々いた縄文人との混合が進んでいたことがわかりました。古墳時代や平安時代の日本列島には多様な遺伝的背景を持つ人々が暮らしていたということです。

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 ホモ・サピエンスが日本列島にやってきて縄文人となったのが3万〜25000年前の旧石器時代。弥生時代以降、朝鮮半島などからの渡来人が広がりました。考古学では、北海道に住む人は縄文人がほとんど混合せずに、アイヌの人たちになったとする説がありました。しかし、ゲノム解読によって、他のグループと混合していたことが発見されたのです。

 佐藤丈寛氏(琉球大学准教授)らは、北海道礼文島で出土した約900年前の人骨のゲノムを解読し、極東ロシアの2種類の集団と縄文人の子孫であることを発見しました。それによると、ロシアや中国を流れるアムール川流域に住んでいた人々の遺伝情報が67割、北海道の北東にあるカムチャツカ半島などにいた別の集団の遺伝情報が約2割受け継いでおり、縄文人由来は12割だったそうです。

 3者の出会いについては、北海道へ2回の移住があったと考えるとのこと。約2000年前にカムチャツカ半島などからの移住者と北海道にいた縄文人が混合、さらに約1600年前にアムール川流域から来た人々と混合し、513世紀にはオホーツク文化人が誕生したそうです。

 アイヌは縄文人の遺伝情報を約7割受け継いでいますが、オホーツク文化人の影響を受けたかどうかは解明されていませんでした。しかし、ゲノム研究を通じて、受け継いだ場合とそうでない場合で遺伝情報を推定したところ、受け継ぐ場合の方がアイヌの人たちなどの遺伝情報にわずかに近かったそうです。

 沖縄にいた縄文人について、人類学者の埴原和郎氏の「二重構造モデル」では、外部の集団と混合していないと考えられていました。しかし、考古学の研究が進み、約900年前の平安時代後期頃までの住人は「貝塚時代人」という縄文人だったが、九州南部からの移民と混合していたことが分かりました。

 近年、木村亮介氏(琉球大学教授)らは、沖縄本島と宮古諸島に住む人のゲノムを解析し、渡来人と九州以北の縄文人の子孫が移住し、沖縄の縄文人と混合した可能性を発見しました。結果、北海道では独特の文様を持つ土器を作った擦文時代、沖縄県では遺跡から多数の貝が出土する貝塚時代が誕生し、平安時代の中頃まで続きます。

 本州では弥生時代から九州から関東にかけて、縄文人と弥生人の混合が進みます。古墳時代の近畿地方にも縄文人の子孫がいた可能性があったようです。清家章氏(岡山大学教授)らは和歌山県の磯間岩陰遺跡から5世紀後半〜6世紀後半の人骨のゲノムを解析し、縄文系の人々がこの地域にいた証拠を見つけています。ゲノム研究によって、これまでの通説が覆り、新たな真実が浮かび上がってきているのです。