校長ブログ
時代を超えて-受け継がれる山手スピリッツ-①
2024.09.20
学校生活
9月20日
明日は100周年記念式典です。歴史を誘い、さらなる100年に向けて飛躍していきます。
卒業生に、神戸山手女子中学校高等学校から連想されるものは何ですかとお尋ねすると、真っ先に返ってくるのが、育んだ友情と絆、懐かしい先生方、授業風景、学年色、クラス、甲子園コーラス、体育大会でのグラウンドパフォーマンス、文化祭、研修旅行、クラブ活動等々です。また、昭和初期の面影を残すレトロな講堂、日本文化を体感できる日本作法室、約7万冊の蔵書がある図書館、神戸の街並みから淡路島、和歌山まで一望でき、夜景が最高のグラウンドなどで青春時代を過ごすことができたことは生涯、忘れられない思い出と口を揃えます。2024年は創立100年というメモリアル・イヤー。歴史とは時代の証言であるのと同時に教訓の宝庫です。節目の年に過去を誘い、さらなる100年につなげていきます。
本校の歴史は、大正13年(1924年)5月9日、兵庫県知事より設立が認可され、同年6月15日に山手尋常小学校の一部を借りて山手学習院として開校するところから始まります。当時の神戸には、尋常小学校を卒業して、さらに勉学を深めたいと思う女子生徒のための高等女学校(現在の中学校)が不足していました。そこで、山手尋常小学校の杉野精造校長が中心となり尽力した結果、卒業生や保護者、地域の方々からご協力、ご支援をいただき、山手学習院を新設するに至ったのです。初期の頃の授業は、現在のこうべ小学校のあるところで行われており、小学校の南門付近には、「山手小学校発祥の地」という石碑が建てられています。
建学の精神の一つである「自学自習」には、学校は自らが学ぶ場であり、生徒が進んで学ぶ態度を養うところという杉野校長の思いが込められています。現在の学習指導要領における「学ぶことに興味や関心を持ち、見通しを持って粘り強く取り組み、自己の学習活動を振り返って次につなげる」という方向性と同義です。もう一つの建学の精神である「情操陶冶」の情操とは感受性を育み、心を豊かにし、道徳的心情や価値観を養うこと、陶冶とは人格陶冶という言葉が示す通り、人間を育て上げることを意味します。非認知能力の育成と言い換えられます。教育基本法の目的に相当するのと同時に、学習指導要領における「三つの柱」の一つである「学びに向かう力、人間性など」にあたります。人が人として成長していく過程で、非認知能力が基盤的な学力として表立って必要とされる認知能力を支えているという構図がいつの時代も教育の根底に流れているのです。
創立2年目には、英語教員であったシャーロット・J・スミス先生によって、セーラーカラーの制服が考案され、今日まで引き継がれています。同じ時期に制定された校章は、当初は銀色でしたが、後にライトブルー、そして、赤文字で「山手」と描かれました。大正15年(1926年)には現在の場所に校舎が移転、正式な女子校となり、名称も神戸山手高等女学校とし、第1回入学式が挙行されました。昭和2年(1927年)12月には、財団法人神戸山手高等女学校が設立。校歌は昭和3年(1928年)に制定されますが、作詞作曲は本校の先生方です。歌詞は3番と4番が現在まで残っています。昭和4年(1929年)3月には第1回卒業式が挙行され、同年7月には同窓会として友松会が結成され、第1回総会が開催されました。
神戸の街は幾多の自然災害や戦争の被害にも遭いました。昭和13年(1938年)7月には阪神大水害が発生、市内では地滑りなど、惨事に見舞われました。運動場ではがけ崩れが起こり、学校の前の道路も濁流に飲み込まれました。昭和16年(1941年)12月には太平洋戦争が勃発、昭和19年(1944年)5月には学徒動員が始まりました。昭和20年(1945年)3月の神戸大空襲では木造校舎が消失しましたが、幸いにも現在の本館だけは残りました。平成7年(1995年)1月には、兵庫県南部を中心とした一帯に阪神・淡路大震災が発生し、甚大な被害を及ぼしました。未曽有の大災害によって、人は自然の驚異を思い知らされるのと同時に、改めて、復興・再生へ向けての工夫や努力、人の優しさを学ぶ機会を得ました。「がんばろうKOBE」に代表されるように、皆が一丸となって苦難の道を乗り越えました。令和2年(2020年)には新型コロナ感染症が世界中に拡大し、前代未聞の全国3カ月間の休校、感染症対策を講じながらの教育活動を余儀なくされました。しかし、諸先輩方は、これまでどんな困難に直面しても創意工夫によって最適解を導き、豊かな学校文化を築き上げてきたのです。
昭和21年(1946年)12月、戦後初の修学旅行(四国方面へ3泊4日)が実施されました。昭和22年(1947年)4月、学制改革により神戸山手女子中学校が開校され、同年7月、組織変更により財団法人神戸山手学園と改称されました。昭和23年(1948年)4月には学制改革により神戸山手女子高等学校が開校、新制高等学校第1回入学式が行われ、5月には保護者会である育友会を結成、総会が開催されました。昭和24年(1949年)7月には生徒会が発足、昭和25年(1950年)7月には戦後初めて、全校生が須磨・一の谷海岸で水泳訓練を行いました。昭和26(1951年)2月には、組織変更により学校法人神戸山手学園が設立されます。
昭和28年(1953年)4月、全校コーラスの時間が設けられ、昭和30年(1955年)4月、全国高等学校選抜野球大会の開会式で大会歌の合唱を担当することになりました。それ以来、本校が大会歌のコーラスを担当させていただいていますが、平成5年(1993年)からは『今ありて』(作詞:阿久悠、作曲:谷村新司)になりました。大会歌の歴史をひもとくと、初代大会歌(作詞:長谷川海太郎、作曲:陸軍戸山学校軍楽隊)は歌詞に英語が含まれていたため、昭和6年(1931年)の第8回大会限りで姿を消しました。2代目の『陽は舞いおどる甲子園』(作詞:薄田泣菫、作曲:陸軍戸山学校軍楽隊)は、昭和9年(1934年)から平成4年(1992年)まで続き、そして、『今ありて』に受け継がれます。コロナ禍で"新しい生活様式" が求められる中、令和4年(2022年)は『今ありて』を合唱する生徒の様子が、1分間ではあるものの、甲子園球場のオーロラビジョンに映し出され、2023年3月から復活しました。全員が同じ旋律を歌う斉唱の夏の大会とは異なり、いくつかのパートに分かれて歌う合唱となっているのが特徴であり、数世代にわたり歌い継がれています。卒業生にとっては、校歌に次いで思い入れのある曲です。合唱は単なる発表の場ではなく、コーラスを通じて自分たちを表現し、他人とのつながりを大切にすることを学ぶ教育の場でもあったのです。卒業式で合唱を取り入れる伝統は今日まで続いています。(続)
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