校長ブログ
女性科学者
2024.08.22
トレンド情報
8月22日
新しい5千円札で肖像が使われている津田梅子氏は、津田塾大学の前身の女子英学塾を創設した方で女子高等教育の先駆者として有名です。しかし、米国では生物学を学び、研究者として将来を期待されていたことはあまり知られていません。
津田氏の論文が英国の学術誌に掲載されたのは1894年。指導を受けたトーマス・モーガン氏(ブリンマー大学)とともに、カエルの受精卵が細胞分裂する時に生じる溝や肛門のもとになる組織と色素の位置関係を研究しています。当時、海外の学術誌に日本人の論文が載るのは珍しいことであり、女性初だったそうです。
津田氏は6歳で日本で初めて女子の留学生の一人として渡米。17歳で帰国し、華族の子女に英語を教えますが、良妻賢母を育てる学校方針などに合わず、再度、渡米。ブリンマー大に留学します。生物学を専門にします。高校時代、数学、物理、天文が得意だったこともありますが、農学者の父親の影響もあったようです。帰国前には、大学に残って研究を続けるように言われますが、それを断り、帰国します。その志は女性の地位向上に向けた高等教育でした。
そのキャリアを活かして女子英学塾での科学教育にも意欲を示していましたが、資金面で存命中は実現は難しかったそうです。時代と共に女子の高等教育は大きく改善しましたが、理工系の大学に進む女子の割合は先進国では最低というのが現状です。
明治維新後、日本は西洋の科学技術の導入をめざし、大正時代になると、植物学の保井コノ、有機化学の黒田チカ、緑茶のカテキンを発見した辻村みちよ、医学博士をドイツの大学で取得した宇良田唯、女性医師第1号の荻野吟子ら女性科学者が誕生します。