校長ブログ

書く

2023.04.04 教科研究
4月4日

 国語の授業と言えば、教員が中心になって評論文や小説を読み解き、質問に答え、板書をノートに写しながら文章を理解するというイメージがあります。しかし、学習指導要領には、読むことへの依存度が高すぎるという指摘を受けて、英語同様、「話す・聞く」「書く」の目安を増やし、言語活動を通して資質・能力を身につけさせる方向性が示されています。

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 実際、「読む」「話す・聞く」ことは得意でも「書く」となると苦手という生徒が多いのもまた事実。背景にあるのは国語の授業=読解という図式です。この固定観念の解消に向けて、益々、教員側と生徒の意識改革が求められることは自明です。

 文章を書くことが、字を丁寧に書くことや誤字脱字をしないことだと考えている生徒は少なくありません。もちろん、それらが大切であることは言うまでもありませんが、「誰に」「何を」といった目的をもって書くことが基本です。書く内容を豊かにするためには、題材を集め、ストーリーを考えた上で構成を決めて記述し、推敲を重ねるのが大前提。取り組む姿勢として、単に書けばよいというものでなく、読む側の立場に立ち、効果的に伝えるにはどうすればよいかという目的をもった書き方が貫けるかどうかです。

 国語をはじめとする言語学習には、背景知識や論理的思考力といった面、課題発見力や判断力といった面、表現力といったテクニカルな面があります。これまでの授業では、思考力育成に重きが置かれていた感がありますが、今、判断力と表現力育成がクローズアップされています。 

 書く力を高めるには内容を吟味し、構成や展開をよく練った上で自らが書くこと。まずは書いてみる➡︎振り返る➡︎書き直す、こういった地道な繰り返しが習慣になり、実力となっていくのです。そして、質を高め、よい文章が自然に書けるようにするには偉人の文章に触れるのと同時に、生徒同士で文章を見せ合い、主体的に活動できる時間を生み出すことこそが協働的な学びにつながるのです。

 高校生の進路は益々、多岐にわたり、進学する生徒もいれば、就職して社会人になる生徒もいます。その意味で、これからの中学生や高校生には入試を突破する力以上に、グローバル社会で通用する力とOECD(経済協力開発機構)の唱えるウェルビーイング(well-being)です。

 企業や大学で若者の書く力が不足していることを指摘する声が聞かれます。学習指導要領が改定され、素材、教材、指導法の研究や評価方法の見直しなど、主役である生徒が「何ができるようになるか」の議論はあまりなされてこなかった気がします。カリキュラム・マネジメントの名の下に、教員の創意工夫が求められているのが追認できます。