校長ブログ
歴史的事実に迫るー巨大噴火と飢饉
2022.06.17
トレンド情報
6月17日
今から約240年前の江戸時代、天明の大飢饉が起きました。原因は、海外の火山が大規模に噴火して気温が下がり、深刻な冷害が広がったためと考えられています。
天明の大飢饉は、1782年に始まり、東北では翌年の夏、雨や霧が続き、「やませ」と呼ばれる冷たい風が吹き、冷害に見舞われました。米は大凶作となり、農村に飢餓が発生、極めて深刻な状況に陥ります。大飢饉は88年まで続き、死者は東北だけで50万人を超え、人口が半減した藩もあったそうです。
「やませ」の原因の一つとして、浅間山の大規模な噴火に伴う気温の低下が挙げられますが、それ以上に影響を与えたのがアイスランドの大規模な噴火。1783年に起きた噴火では、100個以上の火口が現れ、二酸化硫黄などのガスが吹き出したそうです。ガスは霧になり、遠く離れたイギリスにまで達し、多くの中毒死者を出しました。欧州では、数年にわたって冷害を引き起こしました。
近藤純正氏(東北大学名誉教授)は、二酸化硫黄による日傘効果が北半球全体の気温を低下させ、日本や欧州の食料不足につながったと言及されています。日本への影響といえば、1833~37年頃に発生した天保の大飢饉がありますが、そこでも噴火に伴う日傘効果が起きていたようです。
19世紀前半、太陽の活動が低下し、世界的に気温が下がり、そこへ大規模噴火が重なった模様。大規模な火山の噴火が起これば、異常気象となるエルニーニョ現象が発生します。日本では、夏をもたらす太平洋高気圧の張り出しが弱くなる一方、オホーツク海高気圧が強まり、冷夏になります。東北地方はやませの影響で凶作になりやすいというわけです。
2つの大飢饉は人災の面も大きいと言われています。当時、大名は参勤交代や江戸での生活に必要な金策のために米を売りました。東北の藩は西日本の凶作で米の価格が高騰した際、江戸や大坂へ年貢米を送って大きな利益を得ました。
幕藩体制の中、各藩は領地を守るために米の移送を禁じ、鎖国を引いたため、海外から救援物資を得ることができませんでした。しかし、米沢藩や白河藩のように、餓死者を出さず、被害を食い止め、他の藩との交渉を通じて食料の備蓄を進めるなどの対応で、被害を抑える工夫をしているところもあるのです。歴史上の事実から学ぶべきところ、認識を新たにすべきところがあります。