校長ブログ
神戸の発展③
2022.02.15
トレンド情報
2月15日
かつて、神戸の経済を牽引してきた元町商店街は、阪神大震災に見舞われた際、世界への窓口である神戸港が破壊的な大打撃を受け、同時に、金融再編も重なったため、企業や金融機関が撤退、跡地に高層マンションが立ち並び、ビジネス街が住宅街になるなど、街の性格が一変しました。結果、誘引力が低下したと言われてきましたが、最近、再整備が進み、復興の兆しを見せ始めています。
商店街の長さ1.2キロの通りには約300もの店舗が軒を連ねていますが、その歴史は神戸開港から6年後の1874年に始まります。当時から舶来品を扱う上品な商店街として栄え、1901年に「そごう」、1908年に「大丸」、1926年には「三越」といった大手百貨店が店舗を構え、神戸の商業の一翼を担ってきたのはご存知の通りです。
宅地化は商店街の店舗構成にも影響を及ぼしました。ハイカラな神戸をイメージするような洋服や靴、鞄など、ファッション系で言えば、1994年に120店あった店舗が2021年には80店にまで減少しました。一方、1994年に42店あった飲食店が2021年には57店に増加しています。周辺人口の急増に伴い、日用品の需要が高まり、ドラッグストアやコンビニエンスストアも増えています。言い換えれば、ファッションタウンとしての個性が徐々に失われていったのです。
長坂泰之氏(流通科学大学准教授)は、文化遺産が集積している特性を考えると、「エリア間を点、線、面とつなぐ取り組みが重要」と述べられています。現在、商店街の西側では、市がJR神戸駅周辺の再開発に着手、2030年頃に駅前広場を再整備、元町やハーバーランドなど周辺商業地区の回遊性を高めるなど、復活に向けての具体的な取り組みが行われています。
震災後の1998年、経済復興に向けて、医療産業都市構想が始動しました。コロナ禍においては、神戸発の自動PCR検査ロボットやICU(集中治療室)の遠隔モニタリングシステム等の実用化を現実のものとしています。現在、人工島のポートアイランドに約380社・団体が立地しており、研究成果や新事業を継承しつつ、スタートアップを育成しながら他の企業と結びついて発展していく施策が形になりつつあるのです。