校長ブログ

森鷗外から学ぶ

2022.01.31 教科研究
1月31

 今年は、森鷗外(18621922、本名は林太郎)の生誕160年、没後100年にあたります。鷗外の本職は陸軍軍医ですが、多彩な才能を兼ね備えた人物であり、小説家、評論家、翻訳家、官僚等としても明治-大正時代に活躍しました。文学の領域では、夏目漱石らと共に、近代を体現し、後の日本文学に大きな影響を与えた文豪として名を馳せたのはご存知の通りです。

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 鷗外は、第一大学区医学校(東大医学部の前進)を卒業後、陸軍軍医となり、ドイツに4年間、留学しています。(医学校入学時、年齢不足のため、2歳足して申告したことはよく知られています)また、医師として働きながら、『舞姫』『高瀬舟』などの小説を発表するだけでなく、詩歌の創作や西欧文学の翻訳も手掛けています。

 ドイツ留学中、専門の医学を学ぶのと同時に、文学、音楽、美術、演劇といったヨーロッパ文化を積極的に吸収したことが後の財産となったようです。当時の原体験は、ドイツ3部作と言われる『舞姫』『うたかたの記』『文づかひ』という小説の創作につながったと言われています。東京を拠点として医学・文学の道で躍進していた鷗外は37歳の時、小倉に赴任することになります。当初は「左遷」と捉えていたようですが、心機一転、充電期間として、自らを見つめ直すだけでなく、仏教文化やフランス語などを学び、背景知識をさらにブラッシュ・アップさせていきます。

 塚田瑞穂氏(森鷗外記念館副館長)によれば、鷗外は常に物事の本質を追求した人物であり、作品にもそれが表出されているので、時代が変わっても作品のエッセンスをぶれることなく読むことができると言及されています。中島国彦氏(日本近代文学館理事長)は、「書斎でじっくり考えた漱石の持ち味が持続力とすれば、置かれた状況で何をすべきかを判断した鷗外は瞬発力の人だった」(日経2022.1.1)と対比的に分析されています。

 グローバル社会におけるダイバーシティを受け入れ、正解が一つでない問題に対して、しなやかな感性で最適解を導き出せる力が求められる時代です。こういったトレンドに対応していくためには、教科横断的な背景知識、日本語と英語の表現力、数学、データサイエンス、情報科学等が必須。リアルな社会的課題の解決に向けて、必要とされる学びを深めながら本質を捉え、既成概念にとらわれない着眼点を伸ばすために先達から学ぶことは大きな教訓となるのです。