校長ブログ
震災講話
2022.01.19
学校生活
1月19日
「阪神・淡路大震災」が起こってから27年が過ぎました。本日は震災講話からです。
震災講話:教訓から探究へ校長 平井正朗
1995年1月17日午前5時46分、震源を淡路島の深さ16mとしたマグニチュード7.2の巨大地震、いわゆる阪神・淡路大震災が兵庫県南部を中心とした一帯に発生しました。震災は多くの尊い命とかけがいのないものを奪いました。死者6千人以上、全壊家屋10万棟以上、建物火災約260件という甚大な被害を及ぼし、約31万人が避難を余儀なくされたのです。未曽有の大災害によって、人は自然の驚異を思い知らされるのと同時に、改めて、復興・再生へ向けての工夫や努力、人の優しさを学ぶ機会を得ました。「がんばろうKOBE」のキャッチフレーズに代表されるように、皆が一丸となって苦難の道を乗り越えたからこそ、今があるのです。
震災から27年が経ち、町の傷跡もほとんど見られなくなり、震災を経験していない人が増えてきました。予測不可能と言われる時代、本日は阪神・淡路大震災の教訓をリフレクトし、そこから未来に向かった学びを考えてみたいと思います。
課題として挙げられるのは、震災によって建物が密集している地域では火災が発生しましたが、備え付けの消火器をすぐに見つけられず初期消火ができなかったこと、家屋や電柱の倒壊によって道路が閉塞されるだけでなく、警察はじめ公共機関の機能が低下、結果、消防車の出動が遅れ、家屋の延焼につながったこと、それに加えて、情報の共有化のあり方などが指摘されています。
もう少し細かくまとめていくと、老朽家屋の倒壊や家具転倒に見られる建物の耐震性、延焼拡大につながった狭い道路の市街地、コンクリート橋脚の崩壊に見られる耐震設計、関係省庁からの情報連絡・初動体制、地方公共団体の応援協定、道路の損壊と車両の集中、緊急輸送ルート、避難住民に対する生活必需物資の調達方法、輸送拠点の確保、迅速な対応を要する負傷者の搬送、緊急患者搬送のヘリコプター、ライフラインの寸断や医療機器破損への対応、病院外でのトリアージ(患者選別)、ボランティアの業務の振り分け、災害を受けた方々・高齢者の生活再生や企業・商店の経営再建における地域コミュニティの相互扶助など、さまざまな角度からの検証結果が散見されます。
教訓としてまず、大前提となるのが命を守ること、救うことの大切さの尊重です。さらに、住まい・心身の健康・生活資金・地域経済の復興と仕事の確保、地域コミュニティーにおける助け合いによる町づくり、危機管理体制の再構築・社会制度の整備などが必須となります。しかし、対応方策については、これがすべてではなく、普遍的な正解があるわけではありません。現在、考えられうる最適解・納得解にすぎないのです。大切なのは、発生状況とそこから浮かび上がる課題をどのように客観的・科学的に捉え、最適な防災対策を構築したかです。
歴史をひもとけば、日本は2011年、東日本大震災に見舞われました。被災地の人々の苦しみや悲しみは計り知れないものです。しかし、多くの人々が力を合わせて復興に全力を傾けたのは記憶に新しいところです。2020年は新型コロナウイルス感染症の拡大によって、緊急事態宣言が出され、ヒトやモノが国境を越えられなくなるグローバル危機がもたらされました。しかし、その度ごとに人類は創意工夫によって最適解を導き、難局を克服し、豊かな文明を築き上げてきたのです。歴史とは時代の証言であるのと同時に教訓の宝庫。今こそ、"新しい生活様式"に向けて、人類がいかに知恵を絞って危難を乗り越える努力をしてきたかを冷静に把握し、伝承すべき教訓を確認しつつ、原点回帰して"あるべき姿"を見つめ直すことこそが未来を生き、人生を幸せに生きるための準備段階にいる諸君のミッションです。昨年12月10日に実施した防災訓練では全生徒、全教職員が一致団結「チーム学校」として真剣に向き合う姿を拝見して、皆の立派な対応に感心しました。共に夢のある平和な地域コミュニティづくりに知恵を結集させていきたいと思います。
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