校長ブログ

AI時代こそ読解力+非認知能力

2021.09.10 教科研究

9月10日

 AIの進展は目覚ましく、今やプログラミングや自動翻訳はじめ、東大入試合格をめざすプロジェクトまで企画されるレベルになりました。それほどAIの"実力"は素晴らしいものなのですが、それを駆使したデジタル教育のあり方についてはまだまだ議論の余地がありそうです。EdTechを始めとするデジタル学習ドリルは、AIが解けることが前提となるため、それに依存しすぎるとAIのような考え方をする人間を量産することになってしまいがち。個性が育ちません。また、モチベーションを維持するのが難しく、使い方を工夫しないと集中力が分散してしまいます。つまり、デジタル機材はツールとして活用し、教える側もティーチャーに加えて、ファシリテーターにもならなければならないというわけです。

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 確率と統計が使われているソフトウェアであるAIは、ビック・データがあれば大学入試問題であれ、何であれ、一定の結果を出してくれることが期待できます。その意味で、学校には人間にしかできない、マニュアルにない、正解が一つとは限らない問題を解決していける力をつけていくことが求められます。(本校では探究学習として実践中)

 AIは教科書に書いてあることをすべてマスターでき、採点できる問題をすべて採点できるものの、暗黙の了解事項といった言語外情報を読み取ることができないという側面があります。同時に、人に優位性があるはずの読解力が落ちていると感じる教師や研究者が多くいるのもまた事実。日々、情報がめまぐるしく更新され、知識の陳腐化が激しい現代、必要なスキルや制度を再構築していくには自力で学ぶための読解力強化こそが喫緊の課題ということになります。小中高の生徒を見ていると、スマホでは長い文章を読むことがなくなり、本を読む機会が減っています。(だかりこそ、本校では朝読、ビブリオバトルといった自発的に読むきっかけ作りをしているのです)

 併せて、「非認知能力」の育成がクローズアップされてきます。非認知能力とは、学び続ける意欲や粘り強さ、協調性、想像力、コミュニケーション力といった数値で測りにくいもののことですが、これが人の成長に大きなウェートを占めていることは言うまでもありません。建学の精神の一つである「情操陶冶」に相当します。非認知能力育成に向けて、幼児期や小中高時代に、デジタルだけでなく、リアルな世界で様々な体験を積みあげることが不可欠であることが再認識されているのです。(そのために本校では″学びの選択″を導入しています)

 劇的に変容する現代社会での潮流に対応していくためには、有益な書物やデータをどう読み取り、活用していくかにかかっています。多くの有識者会議でもこれから必要とされる教育のトップランクに位置するのが読解力と非認知能力です。予測不能で不確実な時代、教えてくれる人やドリルがなくても自ら進んで「自学自習」(もう一つの建学の精神)できるようにならなければなりません。6月に開かれた大阪市総合教育会議でもこれからの時代に必要な力は「読解力」ということが合意形成され、具体的な手法が教育振興計画に盛り込まれようとしています。非認知能力の育成と同時に、学校で教えてもらえないことを新しい情報として情景を浮かべながら自ら読み解ける力を磨くことこそがグローバル化、DX化が進む世界を"生き抜く力"の一助となると確信しています。